天文はかせ幕下

赤福について

※若干唐突ですが、最近記事にするネタが枯渇気味なので、無内容な随筆をたまに書いていきます。不評であれば止めます

 

赤福という餅は、とても不快な餅である。箱に1ダースも餅を並べて一人では食べきれないが、かといって二人で食べようにも、そのうちに餅や餡が箱の壁面やヘラにへばりついて、汚らしいことこの上ない。なぜあのようなものが名物として売れているのか。」

などと、職場での昼食の折に同僚Aが話していた。コモンは赤福を比較的好むが、考えてみればその通りかもしれないなと思った。

饅頭とか大福といった菓子は、中身の餡がぐずぐずにならないように餅の皮で包んである。これはけだし合理的である。対して赤福は、本来は外皮であるところの餅が内側にあって、それを中身であるところの餡が包んでいる。

上は頭蓋を脳みそで覆うような愚挙であって、なぜそのようなことをするのか?そのような菓子が他にあるだろうか?

「おはぎがそうなんじゃない?」

もう一人の同僚Bのこの指摘を受けて、コモンは目から鱗が落ちる思いがした。確かに! おはぎ、あるいは牡丹餅は、半殺しにした米をつぶあんで包んだ形状をとっている。しかし今の今まで、私は赤福を食べる時におはぎを想ったことはなく、また逆もしかりだ vice versa.

「なるほど、赤福はおはぎの親戚なんだね!」

しかし赤福を憎む同僚Aの意見は違っていた。

「個人的には、赤福のルーツは餅入り汁粉でかなと思ってる。打ち捨てられ半日ほど放置された汁粉の水分が飛んで、赤福になった……つまり赤福は汁粉の成れの果てだ」

そんな感じで、このような下らない議論はなお30分ほど続いたのであった。