天文はかせ幕下

「時空を超えた贈り物 — 宇宙は不思議で美しい —」 を見てきました

先日、CP+に合わせて実家への帰省をしていました。その帰り道に、かなりの遅ればせで、丹羽雅彦さんの個展

時空を超えた贈り物 — 宇宙は不思議で美しい —

を見てきました。実際の会期は昨年の8月で終わっているのですが、顧問は丹羽氏と個人的な友人であるため、特別の計らいでギャラリーを見せてもらったのです。しかもマンツーマンで。その始終を報告したします 

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急に寒さの戻った2月の日曜日、表参道の街は冷たい小雨に濡れていました。地下鉄の駅から地上に出て、ブティックが立ち並ぶ狭い路地に入り、いくつかの角を曲がって緩やかな坂を下っていきます。すると通りの向こうに見知った姿が。"Davinci PROJECT"の建物の前で丹羽さんが出迎えてくれました。

「あー、どうもどうも」
「いやはやいやはや」

って感じで中に案内してもらいました。

地下のギャラリーには100号サイズ以上の大きな作品が並んでいます。入った瞬間に外界から遮断されるので、気が散ることなく作品を眺めることができます。まずは横にあるテーブルに腰掛けてちょっと休憩。イタリア製の微炭酸水をご馳走になりながら、ちょうどこのときに話題にしていたCFA Drizzleについて少し話しました。

「ではそろそろ本題に・・・」

と席を立ちます。奥へ続く細い廊下を通って階段を登り、もう一つの部屋へ。その一角が四角く仕切られており、小部屋のようになったスペースに丹羽さんの作品が並べられていました。

では、作品を一つ一つ見てまいりましょう。

彩度の対比、動的な宇宙 ケンタウルス座Aと南の回転花火銀河

入ってすぐ右側にあるのが、ケンタウルス座Aの銀河です。

黄色ぽい楕円銀河に「へ」の字をした暗黒帯が横たわっています。その暗黒帯に沿って分布するわずかに青い領域が映し出されていて、遥かな過去に別の銀河が衝突した名残を鑑賞することができます。

これだけならよく目にするケンタウルスAの姿です。この作品の白眉は、中央から噴出する赤いジェットにあります。この構造は相当に長い露光時間を費やした上で、さらに慎重な画像処理をおこなわないと作品として鑑賞に耐える形で映し出すことはできません。プリントの横にはさらに特殊な画像処理を施して、ジェットだけを浮き立たせたモノクロ画像も添えられています。人間の時間スケールでは完全に静止して見える宇宙が、実はダイナミックに変化していることを伝えてくれます。

ケンタウルスAから左を向くと、南の回転花火銀河M83が視界に入ってきます。

中心から外に向かい、黄から青へと変化する腕に赤紫のポツポツがいくつも浮かんでいて、ケンタウルスAと対照的に色鮮やかな姿にハッと爽やかな気分になります。周辺の星の彩度を抑えめにしていることも、中心に小さめに写った銀河の存在感を高めているようです。

M83はもう少し強めにストレッチを行うと、周辺のハローが分厚く浮かび上がったリッチな姿を描出することもできて、Astrobinなどでそういう作品も見ることができます(参考)。おそらく丹羽さんは意図してそれを避け、螺旋状の模様のコントラストを優先させたのだろうと想像しました。「回転花火」の名の通り、そのおかげで銀河全体の巨大な回転が、無限に広がる宇宙の中でひっそりと行われていることが伝わってくると思います。

認知を促す画像処理 NGC2170/2186とIC2188

左に目を移すと、M83よりもさらに色鮮やかな星雲が2作並んでいます。オオムラサキシジミチョウが並んで飛んでいるようなNGC2170/2185

それと、IC2188(魔女の横顔星雲)です。

古代の人が、なんの規則もない夜の星々の配置から星座や神話を想像したことから考えれば、星間ガスと星の放射が生み出した偶然の造形に、蝶とか魔女などと名前がつくこともなんら不思議ではなく、無意味なものに意味を持たせようとするのは、国や民族を超えた普遍的な認知の性質のようです。

丹羽さんの作品では、蝶々は優雅にてふてふと舞って見えるように、また魔女はさらに魔女ぽく見えるように、色彩や星々の表現に工夫が凝らされているようです。例えばNGC2170 / 2185では、個展の全作品の中で最も星が大きく高い彩度で仕上げられています。これは説明するまでもなく、星に見立てた花々の中を舞う蝶々の姿を連想させるわけです。また魔女の横顔星雲の薄青い分子雲の後ろ側には、Hαフィルターで撮影された赤い散光星雲がうすく重ねられています。この赤と青の対比は、音に例えれば不協和音的であり、美しいと言うよりも、血色の悪い魔女の皮膚に浮かぶ病的な血管を思わせる不気味さがあります。

おっと、ここに来て顧問の論評もアート分野の批評家っぽくなって来たかも知れません。丹羽さんは「天体写真がアートとして成立するか」を重要なテーマとされていますが、上に記した人間の認知に根差した画像処理は、その大きなヒントになっている気がします。

情報を削って生み出されるもの ほ座超新星残骸

最後に回れ右!そこには2023年の個展のメインディッシュ。ほ座の超新星残骸がドンと掲示されています。

この作品については語る必要を感じません。「アートとしての天体写真」というテーマに対する、現時点での丹羽さんの解答ですね。

—— 星を消し、色を消す

天体写真から情報を削ぎ落とすことで、逆説的に生み出されるものとしたら、それは何なのでしょうか?

単刀直入に、私は想像力であると思います。この作品をSNSで初めて見た時、シャープなハイライトとぼんやりした背景の星雲の姿から、鋭い波と消えゆく泡の混じる鳴門のうず潮を連想しました。または、背骨のつながった髑髏がこちらを凝視しているようにもみえますし、微生物の複雑な細胞組織を連想する方もいるでしょう。手垢のついた表現を借りれば「想像をかきたてる作品」です。こういった鑑賞者の勝手気ままな想像は、作者の意図を超えて作品を一人歩きさせる力をもっていて、天体写真がアートとなりうるための必要条件の一つであると思います。

来年も?

顧問はたまに美術館などを訪問すると、ぐったり疲れてしまうのですが、丹羽さんと5作品について2時間も喋り尽くしたのちに、それほど疲労は感じませんでした。興奮して何か神経物質が分泌されていたのかもしれません。

最後の30分ほどは、2024年の個展への構想や新しいアイデアについても少し語ってくれました。チリでの撮影の順調なようですし、楽しみですね!

実現したらまた表参道のおしゃれな街を再訪したいと思っています。丹羽さん、お相手いただいてありがとうございました。