天文はかせ幕下

いつになったら帰るの?

  子供の頃のある日、近所のおばさんが何かの用事で訪ねてきた。珍しく母親との間で話が弾んだのか、夜遅くになっても居間で盛り上がっており、帰る気配がない。私にとっては普段と違う夜で、こんなことは無条件に楽しいものである。酒の肴をつまみ食いできるし、「寝ろ」とも「歯を磨け」とも言われないので。

この時間が長く続けばいいものだ。おばさんには明日になるまで母親と話していてもらいたい。そう思ってこう言った

「おばさん、いつになったら帰るの?」

しばらくしておばさんは帰宅し、私はそのあと、母親にかなりきつく怒られた。

「いつになったら帰るの?」が、「早く帰れ」という意味になって伝わることを、当時の私は理解していなかった。言葉の意味は暗に変換されてしまうことがあるのかと認識し、これは不便だと困惑したことを覚えている。

 

それから7〜8年経ち、そんな日本語のニュアンスもある程度理解できるようになった頃。たとえばある朝、学校で友人と交わす挨拶はこんなだった

「おう、最近どう?」
「はあ? だりぃ」

この場合の「だりぃ」という返答は文字通りに「体が疲れている」という意味ではない。あえて詳細に説明すれば

「俺はここのところ、退屈な学校生活に本当にウンザリしているよ。そしてお前もそうだろう?」

である。友人もこれを理解していて、「だよな」とでも言いたげにニヤニヤするばかり。そんなコミュニケーションが当たり前のように行われていた。

 

さらにそれから7年ほど経ち、顧問が大学院生になった頃。インディアナ州のブルーミントンという美しい名の街にある大学に1ヶ月ちょっと滞在する機会があった。研究室には、中国や南米など様々な国の人たちがあつまっていた。Lenというブラジル出身の学生はひときわ陽気で、英語が赤滅に下手な顧問とも仲良くしてくれた。ある朝、lenが

ヘーイ、ハウアーユー?

みたいな感じで話しかけてくれて、しかし当時の私はサンキュー、I'mファイン!などと言えるような心理状態では全くなく、研究の進捗や将来の不安から重たい気分だった。なんと返答したのかは覚えていないが、昨晩はよく眠れなくて疲れているとか、そんなようなことを言ったと思う。そしたら

オー、ホワーイ?

と親身に心配されて、高校のころの友人のようにニヤニヤと受け流す気配は全くない。これはちょっと返答に失敗したなと思った思い出がある。

南米の陽気なLenだって、ときには落ち込むこともあるだろう。そんなときにHow's it going? と挨拶されたら彼はなんと返事するのだろう? 海外の方々とのコミュニケーションには疎いので自信はないが、力なく笑顔をつくってファイン、サンキュー!とかいうのだろうか。

 

洋の東西を問わず、人間同士のコミュニケーションにはときに嘘やゴマカシは必要である。

日本人は、言葉が文字通りの意味と、暗の意味に分裂している日本語の性質を利用することによって、嘘をつかずとも本当でないことを言ったりして上手くやっている面がある。一方で海外の言語が日本語に比べて意味の分裂の程度が小さいとしたら(言葉が文字通りに解釈される傾向が強いとしたら)、それだけ余計に会話の中に嘘が混じらなければならない。

どっちも同じかもしれないが、どっちがいいんだろうなー。って考える。言葉が二重の意味をもつ日本語、便利な時もあるけれど、ものすごくムカツクことも多いんですよね。